高敦が添付した資料について
『武徳編年集成』には、著者木村高敦が選んだ資料が原文のまま掲載されています。
高敦がどのようにしてこれらの資料を入手したのかはわかりません。また、当時はコピーがないので、いちいち手で写し取ったのだと想像できます。
筆者の所蔵して現代訳をした版は、天明11年(1786)正月付の高尾信福による序文と、同年夏付の源朝臣直義の序文、および、平手中務大輔政秀5世孫の太宰 純による墓銘があるものです。
この中で高敦が選んで掲載している資料は全部で211編あり、内訳は、
天文年代が6,
弘治年代が2,
永禄年代が39,
元亀年代が11,
天正年代が100(そのうち、21は本能寺の変などのあった天正10年にあります)、文禄年代は3,
慶長年代は32、そして
元和年代は18
でした。
家康はもちろん、信長、謙信、信玄など、おもな武将たちの書簡や感謝状、領地の保証書、各種の指令、法令など、いろいろあります。筆者は内容を正しく読めませんが、そのうちなんとかして現代文にできればと考えています。
筆者の使った木活字版では、これらの資料は、行書体で刷られ、本文と区別してあります。しかし、行書体は読みにくいので、ここでは、国文研データセット(クリエイティブ・コモンズ表示版)の該当する楷書で表示されたものを代わりに順次添付していく予定です。
国文研に公表されている版は、瀬川時徳の序があるもので、天保11年(1840)2月の日付があります。
次は一つの資料の、画像調整前の例ですが、天明版が右側、天保版が左です。
概して天保版は印刷が薄く、欠落した資料や誤字があります。そこで、欠落した資料は天明版の該当部分で示しています。行書体なので区別ができます。
なお、クリエーティブ・コモンズの規則に応じて、ここでは、該当部分をウィンドウズ10でプリントコピーの後、資料部分をJPGの画像として切り出し、黄ばんだ画像を読みやすく、色や明度、鮮明度を適正化した画像をつくり、添付したことを明記します。また、ページがまたがっているものは適宜接合して、一目で全体が見えるように加工しました。ページの切れ目の位置を示すために、画像では狭い空白部分を残しています。
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